●自分の感受性くらい ---- 茨木のり子
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
��しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近�のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった
�目なことの一切を
�代のせいにはするな
わずかに光る尊�の放�
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
●倚(よ)りかからず --- 茨木のり子 ※73�の作品
もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学�には倚りかかりたくない
もはや
いかなる�威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
●わたしが一番きれいだったとき --- 茨木のり子
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがらと崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが�えたりした
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人�が�山死んだ
工�で 海で 名もない�で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった
わたしが一番きれいだったとき
�もやさしい�り物を捧げてはくれなかった
男たちは�手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆(みな)�っていった
わたしが一番きれいだったとき
わたしの�はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は�争で�けた
そんな�鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし�いた
わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁�を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは�国の甘い音�をむさぼった
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
だから�めた できれば�生きすることに
年とってから凄く美しい�を描いた
フランスのルオ��さんのように ね
●知命 -- 茨木のり子
他のひとがやってきて
この小包の� どうしたら
ほどけるかしらと言う
他のひとがやってきては
こんがらかった糸の束
なんとかしてよ と言う
�で切れいと�言するが
肯じない
仕方なく手�う もそもそと
生きてるよしみに
こういうのが生きてるってことの
おおよそか それにしてもあんまりな
まきこまれ
ふりまわされ
くたびれはてて
ある日 卒然と悟らされる
もしかしたら たぶんそう
�山のやさしい手が添えられたのだ
一人で�理してきたと思っている
わたくしの�つかの��点にも
今日までそれと�づかせぬほどのさりげなさで
●�屋 -- 茨木のり子
人が
�まなくなると
家は
たちまちに蚕食される
何者かの手によって
待ってました! とばかりに
つるばらは伸び放�
�々はふてくされていやらしく繁茂
ふしぎなことに柱さえ はや投げの表情だ
�丈そうにみえた木� ひきちぎられ
あっというまに草ぼうぼう 温�にむれ
魑魅魍�をひきつれて
何者かの手荒く占�する�配
�さえなく
吹きさらしの
�炉�の在りかのみ それと知られる
山中の�居
ゆくりなく ゆきあたり 寒�だつ
波の底にかつての�所�を
�てしまったときのように
人が
家に
�む
それは�えず何者かと
果敢に�っていることかもしれぬ
●ぎらりと光るダイヤのような日 --- 茨木のり子
短い生涯
とてもとても短い生涯
六十年か七十年の
お百姓はどれほど田植えをするのだろう
コックはパイをどれ位�くのだろう
教�は同じことをどれ位しゃべるのだろう
世界に�れを告げる日に
ひとは一生をふりかえって
じぶんが本当に生きた日が
あまりにすくなかったことに�くだろう
本当に生きた日は人によって
たしかに�う
ぎらりと光るダイヤのような日は
��の朝であったり
アトリエの夜であったり
果��のまひるであったり
未明のスクラムであったりするのだ
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